昭和45年4月24日 夜の御理解 ★
久留米の初代の石橋先生といえば大したお徳を受けておられた先生でした。私共も青年時代に、その、ご神徳を受けておられる先生の風貌に接しておりましたが、それはまあ何とも言えん、豊かな、それこそ春の海を思わせるような、それこそ大空のようなお心の広い方であった。
えー、今日、久留米の教会のご信者さんがある用件もあってから見えられまして、いわゆる久留米の初代の石橋先生の、おー、お取次を頂いてお母さんの時代からおかげを受けておられ、今でも熱心に信心しておられる方でございますけれども、その方のことをお願いさして頂いておりましたらね、★ご心眼に頂きましたのは、そうですね、このちょうど、あのう、一間ぐらいの広さの、まあ川というより谷ですね、そこにこの大きな石橋二つですね、まあこれをすぐ私は、はっ石橋先生のことだと思うたんです。ところがそこをですね、もうそこの石橋にすれすれに水がいっぱい流れておるわけです。ですからね、そのう、向こうから船が来ておる船が、ばってん下をくぐられんでおっているところを頂いたんですね。
はあ、本当に久留米の初代がこれは皆に教えておられたことの中に、この世は徳の船に乗って渡れと、もうこれを繰り返し仰っておられたそうですね。自分の力、知恵ではできんぞと、徳の船に乗って渡れと仰るが、はあ今の久留米の状態はその徳の船がね、その水がいっぱいであるためにね、その、くぐられんでおるというような状態だなと私は思いましたよ。
今日その、今日はこの方のことをお取次ぎさして頂きながらそれを思うたんです、ね。ですから、うーん、石橋先生のご信心というのはもっと広い大きな豊かなものだと、ね、本当言うたら。ですからこれが大きな川であったら、このくらいな水はさあっと下を流れていくでしょうけれども、それをね、後からの方たちが久留米の信心を狭めてしもうたという感じなんですね。
ああでもない、こうでもない、いやこれが本当だ。石橋先生の信心はこうだなんて言うてですね、後から方達がその、言うことは言うけども、そういう広い、それこそ広い大空のような、あー、信心を狭めてしもうたら、水はなるほど、ね、おかげはお水はいっぱいだけれども徳の船が渡れんごとなってしまってるといったような情景を頂いてから、はあ本当にね、これはもう本当に2代目3代目、例え信心が伝わっていくという時に本当なことだけね、残っておらなければだめだなと私は思いました、ね。
お徳は残っておっても、残っておるからこそ水は沢山あるんですけれども、後からの者が広い信心を狭めてしまう。ですから水かさ(いにった?)、ところがその、石橋の橋にひたひたですから、下はもう、泳いでもくぐられんぐらいに水がいっぱいです、ね。
はあ、これが、まあ今の久留米の現状ではなかろうかというふうに私は思わして頂いて、これは久留米のことじゃない、私共だって同じぐらいなことが言えれると。本当にね、やはり間違いのない、例えば初代の信心を受け、継承しておかなければね、狭めてしまうようなことになっては相すまんことだなあと。
今日はね、私はそんなことをお知らせ頂いてから、石橋先生も本当に、まあはがゆい思いをなさっておられるのじゃなかろうと、まあ、あー、今日の(ながれ?)の、おー、まあ祭りを頂いておる合楽の場合でもね、えー、やはり石橋先生のそうした御信心を頂いておるのでございますから、えー、本当にそういうところを教えて頂くのですから、そういうことのないように今後のお互いの信心が、あー、間違いなく継承されていかなきゃいけんということを感じましたですね。どうぞ。
明渡真